もう離さない いつまでも一緒

生きてるのも 生き抜くのも
この先ずっと この思いをしながら
生きなくてはいけないなんて
ここなら、少しは本音をいえるかな?
言ってもいいかな?

震災の日、、、①

3月11日の震災の時、私は職場に


息子二人はまだ学校の時間


何が起きているのかわからない状況だった


全員隣にある公園に避難した


こちらも震度6だったらしい

あれだけの揺れは生まれて初めて

建物が崩れると思うほど、、、


どこかできっと大きな地震が来たのは予測出来た



息子達が小学生の頃

新潟の地震の時も かなり私らの住んでいる地域は揺れた


あの時は土曜日だったかな?

早く店が終わる日で 呑気に終礼

などしていた

私は早く学童にいる 二人を迎えに行きたくて、終礼なんてどうでも良かった


六年前の震災の時は

店は停電

営業できる状態ではないが、六時過ぎまで拘束された


だれもが家が心配なのに、、、

二人の息子は家にいるのかな?

当時 高校二年と中学二年


小さな子供じゃないから、、大丈夫かな 携帯は全く繋がらないし

あの時はまだ母の家に四人で暮らしている頃


母は、どこかな!

仕事だったかな?

家にいるのかな?


なにもわからない


早く帰りたい


こんなに暗い暖房もつかない店にいても、仕方ないのに


なんでひと言帰っていいよ


って言えないのかな?