もう離さない いつまでも一緒

生きてるのも 生き抜くのも
この先ずっと この思いをしながら
生きなくてはいけないなんて
ここなら、少しは本音をいえるかな?
言ってもいいかな?

震災の日、、、last

二人は何処に行っていたのか、、


長男の高校の友人が駅で足止めされていたらしく


地震の影響で電車が動かず

駅にいるとやり取りをしていたら

母が送るよ!って


二人の友人をのせて 隣の市まで送りに行っていたそう


全くひと言書いていけばいいのに




ろうそくを探していたら


サイレンが近づいて来てる

なんだろ?

カーテンをあけてベランダから外を見ると


炎が、、、


火事だった


後日聞いたら、ろうそくが倒れて火事になったそう


それを聞いた日から我が家もろうそくは禁止


(計画停電の時は明かりなしで耐えた)


私の携帯は充電が終わりそうで、そんなにパカスカあけてニュースを見ていられない


その間に余震はひっきりなし


長男が何やら支度を始めた


私「?なにしてんの?」


長男「親父の所 いってくる。停電していないから電気も着いてるんだって、迎えに来てくれるって言うから いってくるわ」


すかさず 👦も「俺も行くー」


私 「待ってよこんな状況なのに、ママ達をおいて行くき?あり得ないんだけど(゜ロ゜;」


...................


さすが心優しい👦は行かずに残ってくれました。


ていうか、今さらながらな、思いだしてイライラしてしまったが

元旦那も勝手だ!


普通長男なら母親のそばを離れるな

しっかり守ってやれ

っ教えるのが父親じゃない?


これぞとばかりに 、今なら呼べば来る!

的なチャンスを見事に利用して💢💢💢

連れ出すなんて!!💢

長男は👦をおいて 自分だけ行っしまった


👦もほんとは行きたかったよね


暗くて 寒くて、、、そんな家で過ごすよりも、、


👦が技術で作った 手回しのラジオが

あの日は役にたったよね



きこ、きこ回しながらラジオを聞いて、、、


リビングのカーペットの所に布団を並べて一緒に寝たよね


余震の度に怖くて👦の腕を掴み、、、


あの時、ほんとに君は優しいこだな


お兄ちゃんとは、大違いだとまた、また、わかったよ

我慢してくれありがとう



翌朝、五時過ぎになって家中の電気がぱちぱち付いた


停電てわかっているのに、つくはずないのに、夕べあちこちの switchを押していた証拠だ、、、


ニュースでは屋上からのsos

ヘリコプターに助けを求めてる人が流れていた


支度をして仕事に行く準備をしないと


余震に見舞われながらも仕事をし


帰って来て初めて津波の様子をみて、

ようやく事実を知った


こんな大変な事が起きていたなんて、、、


ラジオからのアナウンサーが発していた津波、壊滅の意味がようやくわかった



徐々に時間が経つ事に、私の耳にも

お客様から 津波の影響を受けた人の話が入ってきた


いたたまれない思いだった



👦と過ごしたあの夜は一生忘れることはないでしょう


あの時 一緒にいてくれて ありがとう

やっぱり👦は、優しい子なんだよね



優し過ぎて、辛くなってしまったのかな